高技術は高付加価値とは限らない 続き 2006.07.24

前回、今回とデザイナーと言うよりも、製造業者の方向けの内容ですが、お付き合い下さい。

先日の高技術は高付加価値ではないという文に質問メールをもらいました。

簡単に言うと「技術には価値が無いのか?」という質問なのですが、技術を否定したように受け取られたようです。

私の言いたいことは、誰にとっての価値か、という相手によって価値はプラスにもマイナスにもなるということなのであり、生かされない技術は価値につながっていない、ということです。

例えば「水とガソリンはどちらが価値があるか」という質問にどう答えますか?
どうやって比べますか?比べられないですよね。

誰にとって、どんな場面でという用途が決まってはじめて価値に優劣がつきます。

砂漠の真ん中で飲み水が全く無い状況なら1リットルの水を何万円でも買うかもしれません。そこに車がなければガソリンは全くの無価値です。

逆に、ドライブの途中で燃料が尽きてしまったときには、ガソリンが必要です。
発電機をどうしても使う必要があるときにもガソリンは不可欠です。
逆に火の近くだとガソリンは爆発の可能性があり、危険なものになります。

ガソリンに価値が無い、水に価値が無い、ということではなく、求められる目的によって価値はプラスにもマイナスにもなるのです。
こういう簡単なことを言っているのです。

作り手というのは、どうしてもモノをつくって形になると仕事が終わりと勘違いしがちではないでしょうか?
とくに素材や部品は、その後、どのように使われても我関せず、という製造業者が多いと感じます。私の感覚だと8割ぐらいはその傾向があるように感じます。

何人かのトップ営業マンという人に話しを聞いたことがあるのですが、みな同じように「商品は売り込むのではなく、欲しいという人に提供するのだ」ということを言います。

商品は誰にとっても同じ価値があるのではなく、その商品をどうしても欲しいという人に買ってもらってこそ価値が最大化するのです。セールスは欲しいという人を見つける作業なのだといいます。

製造業者は、この認識が低いので、どうしても「売り込む」「押し付ける」という行動になってしまいます。
キチンと説明すれば売れる、熱意が伝われば売れる、と考えます。
だから売れなければ、売れないほど頑張ります。頑張りすぎます。
しかし、必要ではない人に、いくら価値があると熱弁しても売れるわけがないのです。頑張った反動で売れないと自信喪失してしまいます。

例えるならば、台所に小さなフックをつけるだけなら、錐があれば十分です。
高機能・高性能ドリルは必要ありません。
しかし製造業者はどうしてもドリルを高性能にして値段を高くしたいと思います。
それこそ価値あることだと信じています。
だから、売れないのはドリルの性能を分かってもらえないから、と考えます。

でも、本当に価値があるのは、背が届かない所に穴を開けられる長い錐とか、穴を開けなくても取り付けやすい便利なフックなのです。

お客さん側はドリルが欲しいのではなく、フックを付けたいだけなのです。
だからどんなに機能があっても、それが求めるものではないなら買ってもらえないのです。

製造業に限らず、
「○○○に使えるものなら、いくらでも高く買います。」
「○○○な機能があるなら、ぜひ私に売ってください」
と言われるような商品を開発することが大事です。

だから耳にタコがいくつもできるぐらい、ニーズが大事だとか言われるんです。
消費者のニーズ知ってますか?
知らないなら価値の有る無しは判断できないものです。

価値は求められる目的に応じて最適化することに意味があるんです。
高い技術は、目的に沿って使われた時に、その価値を発揮するんです。